パチンコ

「なにやってんだ…」パチプロが”生きる意味”を考えるとき

 3月23日に扶桑社さんから『パチンコ崩壊論』が発売されました!!


私は編集作業と一部注釈の執筆を行いました。この本については、また今度改めて書きたいと思います。

大崎さんとお話したこと

 この本の編集作業をしていたときのこと。著者のひとりである大崎一万発さんと空き時間にお話をしました。というのも、本の製作期間中に大崎さんのYouTubeチャンネル「まんぱつ」の動画を何本か拝見したのですが、その動画の内容で気になることがあったのです。それは、

『パチンコ人生、最高月収を初めて語る』

という内容のもの。そのなかで、「パチプロを2年間やったあとにパチンコ必勝ガイドに入った」とサラッと語っていらっしゃったのですが……。必勝ガイドで働き始めたことで、パチプロ時代から比べて収入が1/10程度になったようなのです。で、それを観た私は、

収入が下がるのがわかってて、なんでパチプロをやめてしまったのだろう?

と思いました。特に20代前半でそこまで稼げていたら、いくらパチンコ関係の仕事に就くとはいえ、お金の方を優先してしまってもおかしくないでしょう。そして私はそのことをご本人に直接伺うことに。

すると大崎さんは「“生きる意味”を考えた」とおっしゃっていました。

パチンコに勝っていて楽に大金が手に入るとはいえ、毎日毎日パチンコ屋に行く日々……。機械と面と向かう自分に嫌気が差した、というお話でした(本当はもっと細かく伺ったのですが、聞いた話で間違ったこと書くのもアレなのでこの辺で)。

目の前に転がっているお金をひとりで広い続けることの意味

例えば、最近YouTubeで登録者数10万人を突破した『わーさん』という方。その方も動画で同じことを言っていました。「パチンコ打ってて『俺は何やっているんだろう』と思うことがある」と。そしてYoutubeで情報を発信することで”生きる意味”を見つけたようなのです。

 実は私も、昨年はライターの仕事をしながらもパチンコを打ち続け、“生きる意味”を考えたときが何回もありました。前にも書きましたが、遊タイムの据え置きを狙おうとしたら割り込みされて、じゃんけんに負けた日なんかもそう。

激アツ演出で画面がブラックアウトし、映し出された自分の顔を見たときも同じ。あまりにもひどい表情の自分と目が合い、激アツに対するワクワク感と裏腹に、「なにしてんだ」という気持ちが浮かび上がってくることがあります。

これが不思議なもんで、負けてるときは思わなかったんですよ。勝てるようになって思うようになったんです。つまり、負けてるうちは趣味の範囲でしか時間を費やしてなく、勝てるようになってしまうと打つことそのものが仕事になり、打つことそのものが”生きる”ことになる。

 仕事とは、基本的に”商売をする側”にしか使わない言葉。広辞苑で「客」と調べると「商売で料金を払う人」と記されています。となるとパチンコは、パチンコ店にとって客でもなければ、社会を生きる人間にとって仕事をしているわけでもない。要は誰かが遊びに使い、その使いすぎている部分のカネを掠め取っているだけではないのか……。

 勝ち始めてそんなことを思うようになった私は、週刊SPA!のグルメ取材や政治家のインタビューなどの仕事を頂いたとき、得意ジャンルでもないのに、とてつもなくやり甲斐を感じるようになりました。もちろんパチンコは相変わらず好きです。ただ、パチンコ雑誌の仕事をしているならいいですが、そうではなくなった今、勝てるからといって毎日のようにパチンコを打ち続けるのは良くない。このスキルアップのために始めた個人ブログを”パチンコ特化型ブログ”にしなかったのはそのためです。僕はいろんなことをしっかり書けるライターになりたいので。

だからこそ、パチプロ同士の飲み会よりも、京楽友の会のようなパチンコファンとの交流の方が心地いいんでしょうね。パチンコは自分のペースで程よく楽しむもの。そのくらいの距離感で付き合っていきたいなと、僕は今日も思います。

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